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ゼミナールSirube
未来可能性について考える26
日 時 2025年10月20日(月)
13:30~16:00
会 場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 太田直道 著『人間とその術』
内 容

 テキスト『人間とその術』と太田先生作成の補足資料を読み合い、その内容について意見交流しながら学習して行きます。テキストは、毎回1節ずつ読み進める予定でいます。
 今回は、前回の箇所が最後まで進まなかったため、引き続き「第9講 表現と芸術-美的制作について」の 《2 美的世界の創造としての制作》を行います。興味関心のある皆さんの参加をお待ちしております。

前回の
様子

 9月は、テキスト第9講の2「 美的世界の創造としての制作」にある、「美意識について」「製作行為について」、そして「イメージとファンタジー」を読み進めました。

 太田先生は「美意識について」の冒頭、現代芸術は美の世界から後退しているのではないか。芸術における美的体験は可能かと問いかけ、その問いに対して、人が美意識を持つことは人間精神における根本事実であり、美的内容はさまざまでも美意識なしでは、いかなる行動にも立ち上がることはできないと述べる。だとすると冒頭の問いに対する応えは、現代においても美意識を持ち、美的体験も依然として可能ということになろう。
 しかし近代社会に至って、それ以前の美的価値観は、新たな「近代美」の価値観へと換骨奪胎されたと言う。そして、その「近代美」の特徴として①工学的技術の基本カラーである金属的灰色を基調とする。②世界のグランドデザインを幾何学的に構成し直す。③方形的反復性の無彩限の延長という点を挙げる。ゲーテは、このような近代社会を灰色であり、常闇の黄泉の国の色をしていると嘆いたそうだ。 
 では、先に「人間精神の根本事実」であるとした「美意識」とは何だろう。太田先生は、それは光の輝きであり、対象のなかに生命的なものが輝いていることをとらえ見つめようとする意識。また、その輝きは、生命(生命原理)が昇華されたその輝きではないかとも言っている。さらに美意識は、脱我(エクスタシー)の状態であるとも。
 「近代美」に触れたテキストの他の箇所には、生命は本来原色であるのに、近代はその明るい原色を避けると述べている。生命的な明るさを退け、灰色の暗さのなかに美意識を見い出し求める現代の私たちの美意識が意味するものは何なのか。そこからどんな私たち現代人のありようが見えるのか、見えないのか。そんなことが頭をよぎった。

 次に「制作的行為について」では、芸術制作は人間精神の本来の姿を垣間見せるという。その際に制作行為を担っているのは、知性とか意思ではなく、純粋受動というべき感情(美的感情)であり、制作の隠された重心は、作り出すことのうちにではなく、待ち受けることにあるのではないかという。この美的感情に関わっては、西田幾多郎の『藝術と道徳』を引用しながら、その純粋感情は芸術制作を貫いており宇宙的感情、生命感情と呼ぼうとも述べている。 
 ここで惹っかかったのは「純粋受動」や「待ち受ける」という考え方、捉え方。どちらも受け身。しかし現代は受け身の社会だろうか。未来の「主権者」を育てるという教育の世界は、「関心・意欲・態度」が求められ、積極的に授業に参加して意見や質問、発表をする。そんな子ども像が、あるいは人間像が一般的には流布され求められているのではないか? 大学受験しかり、就活しかり・・・。どこもかしこも前のめりの主体性、能動性が求められているように感じる。「受動性」は、置いてけぼりを食う社会ではないか。
 その一方で、自分の内に何かを感じたり受けとめたりすることがなければ、つまり入力して感じるものがなければ、出力としての行為や表現は生まれないとも思う。自分の内にまだ何もないのに、外に出すことばかりが求められる。現代社会は、いびつで病的だ。何かにせき立てられ追われる社会は、もうやめにできないものだろうか。そんなことを思った。
 また太田先生は、芸術制作は道徳的性格を有し、表現的行為と道徳的行為との間には精神の内的なつながりがあるとも述べている。 太田先生は、一般的に道徳は人と人との間柄、すなわち私と他者との関係のあり方と考えられているがそうではない。道徳とは、自己の精神的品性を高めることであって他者との関係ではないというのだ。また、それは垂直的な関係であって、その点で宗教ともつながりがあるともいう。先の「純粋受動」「待ち受ける」という捉え方を考えると、太田先生のいう宗教とのつながりも理解できるように思った。

 最後の「イメージとファンタジー」では、あらゆる芸術制作は心象世界としてのイメージが心に生まれることから始まる。イメージの中でも架空的、幻想物語的な内容に満たされたものがファンタジー(美的想念)であり、現実世界に対するもう一つの世界を開くと述べた。太田先生はイメージを喚起する働きをするのが想像力であり、目をつぶって見るのがイメージ。一方、目を開いて見るのは物理的な現実世界で、そこで働くのは知性だと説明した。 それから美的想念の根底には生命イメージがあるとして阿部次郎の『美学』も引用した。