未来可能性について考える13
日 時 | 2024年6月24日(月) 13:30~16:00 |
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会 場 | みやぎ教育文化研究センター 会場の詳細はこちら |
参加費 | 無料 |
テキスト | 太田直道 著『人間とその術』 |
内 容 | テキスト『人間とその術』と太田先生作成の補足資料を読み合い、その内容について意見交流しながら学習して行きます。テキストは、毎回1節ずつ読み進める予定でいます。 |
前回の 様子 |
Shirubeの感想 5月27日(月) 私が興味深かったのは、ウィナーの「逆適応」の考えです。「技術がたまたま生み出したものに人間の要求が付きしたがって変化する」というものです。私は本当にそうだなあと思いました。私も太田先生と同じで、技術というものが、今は神のようになり自己増殖して、人間の力ではもはやコントロールできないものになってしまったと感じています。だから主語が『技術が』なのだと思うのです。しかし、本屋先生は、「それは、『技術が』ではなくて、『大企業が』とか『政府が』ではないか。技術が勝手にそうするのではなく、あくまでもそれを使う人間に問題がある。だから、それは、教育によって何とかなる。」とおっしゃいます。いつもこの点で、お二人は対立します。それを聞くのもとてもおもしろいです。私も本屋先生のおっしゃるように教育に期待したいと思うのですが、現在の技術はもやはそういうレベルを超えたものになってしまっていると感じます。その点では、私も太田先生と同じく悲観論者です。人間は、止めようがない気がします。 5月26日(日)の朝日新聞の第1面は、AIのことを取り上げていました。そこには、「全て自動化 人知超える可能性」と題して、AIが実験器具とつながり、自ら次々に実験するシステムを開発し、AIが自分で考え実験していることが書かれていました。AIは、人間のように疲れないので、絶え間なく考え実験できます。そして、「人間には理解できない現象もAIは理解できる」「いずれは人間には理解できないような複雑な自然法則を見つけるようになるかもしれない」と書かれていました。しかし、人間が理解できないのであれば、その現象をどう判断するのでしょうか? 人間が理解できないのであれば、その法則は認識されないのではないでしょうか。そういう時代が来るかもしれないのです。そうなると、AIが人間に分かるように解説し、人間に命令したり指示したりするようになるのかもしれません。 続いての「フィーンバックの民主主義的技術論」は、「市民たちの自覚によって未来の技術社会がより良い方向に形成されるように、社会生活が改編されることを説くもの」で、私はとても良いなあと思ったのですが、太田先生は「現代の技術状況のなかから頭をもたげてくる戦慄すべき危険性にたいしてあまりにも楽観的」だと、ばっさり切り捨てられました。前の朝日新聞を読んでも、そうだなあと思わずにはいられませんが、何か方法はないのでしょうか。 最後に「ヨナスの未来倫理学」です。ヨナス以前には、倫理学というのは、人と人との関係の学問で、現在の人間同士の関係だけを問題にしていたと言います。しかしヨナスは、現在と未来の人間、そして人間だけでなく自然、そして自然は非生物も視野に入れているのが新しい視点だと話されました。これは哲学者や思想家にショックを与え、「ヨナスショック」と呼ばれたそうです。非生物である岩石がなければ、生物も存在しなかったというわけです。「人間は何であるべきか」それは「人間は存在すべきである」というのです。「非存在を選ぶことがあってはならない」 のです。 P147の最後の段落、未来技術のあり方「人間の生活空間をより高次の制作技術によって繊細化すること。美感化、個性化、人間化、生命化(有機化)という精神作用の駆使が技術の向かう方向。そして高次の技術は擬態動物のように自然の流れのなかに融け込み、身を隠す」というところが、よく分かりませんでした。 |