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『教育』を読む会 10月例会
日 時 2025年10 月11日(土)
10:00~12:00
会 場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
テキスト 『教育』2025年10 月号
内 容

【10月号】
特集1  教職のいまを生きる、語る、支える

特集2  教職員とともにある好調・学校運営

前回の
様子

宮城『教育』を読む会2025年9月例会

 9月20日(土)10時~12時に、みやぎ教育文化研究センターで『教育』を読む会を開催しました。参加者は少なめでしたが、深い議論ができました。
 今回は、2025年9月号の特集1「子ども・青年の自治の力を育てる」を中心に議論しました。児美川孝一郎論文「特別活動と公教育のゆくえ」を輪読し、意見交流をしました。
 児美川論文は、教科と特別活動を含む込む「日本的な学校のかたち」(10頁)が脅かされている状況において、いかにしてこれを発展的に維持できるかを問うています。
 児美川さんによれば、文科省の推進しようとする「令和の日本型学校教育」は、経済産業省などが推進するICT化を通じた子どもたちの学びの場の企業を含む社会のあらゆる場への「拡大」に対して対抗するものではある。しかし、これは、「国家主義、管理主義、競争主義」、評価主義」(12頁)という性格を保つ形で、教科と特別活動を中心とした学校のかたちを維持しようとするものだということです。
 教育政策が、たとえば今回のように、「日本型学校教育」にあえて「令和の」を関して打ち出すときには、結局、「本体」の「日本型学校教育」のかたちも大きく変えようとする意図があるように感じます。だから、現在進行している次期学習指導要領改訂の動きをみても、児美川さんの指摘する「授業には個別に取り組ませ、特別活動はすべて選択とする」(12頁)とか、特別活動を通じて、子どもたちが集団として育ったり、何かを共に成し遂げたりすることを学んだりする機会が公教育のなかで保障されなくなる危険も孕んでいます。
 とはいえ、「集団をベースとして、ともに教科や特別活動に取り組むという大前提」のもとに、「『多様性』や『複数性』が認められつつも、『個別』へと解体されたりはしない学校や教室の公共的空間のあり方を、実践的にも理論的にも創造していく」(12頁)という課題にどう取り組んでいくか、手掛かりをどこに見い出したらいいのか、なかなか難しい。特集の他の論稿も読んで、それぞれの取組と提起は魅力的であるが、こうした課題の手掛かりになる、と直ちにひらめくものはどれだけあるかという感想もありました。
 児美川さんが、学校教育を受けた自らの体験の苦々しさを語りつつ、それでもなお、「守るべきもの」(7頁)とは何かを直截に、また、戸惑いつつも問いかけているわけですが、現在の、また、未来の教師たち、子どもたち、保護者たちがどのように受けとめるのか、参加者それぞれの立場や経験から発言がありました。
 たとえば、和光中学校で、遠泳に学校・学年・学級全体が取組み。みなが長い距離を泳げるようになるという大きな学習課題を通じて、子どもたち、教職員同士の関わりも変わり、それが、日常の授業、学級づくりにもよい影響を与えていく試みも紹介されました。 
 この場合は、体育ですが、合唱が同じような役割を果たしている事例についても紹介されました。
 ただ、他の教科についても考えると、特別活動によって培われる力量と、学習がもつ「コミュナルな次元」(11頁)が結びつくような学校のかたちをどう考えるか、校種や地域の違いなども含めてどのような取組みがイメージできるか、なかなか難しいという意見もありました。
 宮城の全生研サークルでは、授業と学級づくりのどちらかのみに偏ったレポートではだめだということで、両方の側面を捉えたレポートを書き、検討するようにしているようです。こうした意識をもった教師たちの実践の交流もまた、教科と特別活動の「相乗的な効果」(12頁)が発揮される土壌を作っているのかもしれません。(文責:本田伊克)。

コメント

教師受難の時代と言われたりする。しかし教師を続ける以上、目の前には子どもたちとそして仕事が待っている。
特集1は、教職困難の中で、現場に立ち続けている教師たちの「声」を聴く。自分の場所から発する多様な「声」の往還が、新たな地平を生み、お互いを支えることに向かうだろう。
特集2は、様々な「声」が交わされ教職員の学びと協同の文化をどう生み出し、つくり出していくかを考える。