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『教育』を読む会6月例会
日 時 2025年6月21日(土)
10:00~12:00
会 場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 『教育』2025年6月号
内 容

【6月号】
特集1  スローラーナー(境界知能)と向きあう

特集2  つながりから生まれる教師の学び

特集1では、スローラーナーを特集する。スローラーナーは、医学や心理学では「ボーダーライン知的機能」とも呼ばれている。すなわちIQ70~85の「境界知能」は知的障害ではなく、学齢児の約14%が該当し、35人学級なら約5人いる計算になる。近年、社会の急激な変化や不況・貧困・コロナ禍などを背景に、境界知能の子ども・若者の「生きづらさ」が改めて注目されている。
現在の教育システムでは知的障害ではないため必要な支援が受けられない。よって、学習の場は、基本的に通常学級であるが、一部は特別支援学級に在籍する。教育的な診断方法や学習方法は確立されていない。
スローラーナーは教育学にはなじみがないかもしれないが、新しい課題には新しい用語が必要になる。今まさに、教育実践はこの課題に取り組むことが避けられないし、教育学もその理論化を急がなければならない。

教師は、成長・発達していく子どもを前に、教師としての生き方や力量が問われ、それらを高めるために学ぶことが求められる。しかし今の学校現場は、日々の業務に追われ、教師からは学ぶ機会や活力が奪われ、効率のよい授業をすることやトラブルのない日常を過ごすことが求められている。だからこそ、特集2では、“教師の学び”について考えたい。

前回の
様子

宮城『教育』を読む会2025年5月例会

 5月31日(土)、みやぎ教育文化研究センターで『教育』を読む会を開催しました。参加者は5名と少なかったものの、深い議論ができました。
 今回は、2025年5月号の特集1「奈良教育大学附属小学校の『問題化』」を中心に議論しました。本田伊克論文「教育課程における発達の位置」を輪読し、意見交流をしました。
 本田論文では、カリキュラム・マネジメントという教育政策の「ことば」が、教育課程を包摂するようなものとして示されていること、それは、教育課程づくりの自律性や創意が、幾重もの枠のなかに封じ込められていることを示していると論じています。
 このことは、教育現場においては、もはや「ジャッジ(判定者)」の絶大な権限があるので、何を言っても否定されるから言えないし言わない、あるいは、そもそも何か言う機運すらなくなっているのではないかという発言がありました。
 「子供が本来的に有するメカニズム」(51頁)が教育に対する社会の要求と完全に一致するならば、子どもの発達の固有性を考慮することは必要なくなるという記述については、では「文化を学ぶ子ども」(52頁)として想定される子どもの学びの姿や教育のかたちについて、より理解しやすい記述が欲しいという意見もありました。
 奈良教育大学附属小学校の教育課程づくりと教育実践は、まさにこうした「文化を学ぶ子どもから学ぶ」教育の在り方を体現してきたものと言えますが、文化内容および教材を媒介にした教師と子どもの相互作用において、文化内容の手段化が進んでいることは確かだと思います。
 そもそも、子どもたちは「文化」ではなく、テストや入試で出題される内容という意味での「教科」しか意識していないのではないか。また、教科内容と発達段階との関係を考える際、高校などではすでに後者について学校間、生徒間の差が大きくなっている点をどう考えたらよいのか。
 次期学習指導要領は、教科内容としてどのような文化内容を盛り込むか、その際に、資質・能力と文化(あるいは教科)内容との関係をどのように捉えようとしているのか。そして、いかなる子どもの学びの姿を想定しているのか。以上についても意見交流しました。
 6月号の特集1は「スローラーナー(境界知能)」と向きあう」ですが、今回の議論と重ねて読むことが出来そうです。次回は6月21日(土)10時からです。
(文責:本田伊克)。