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『教育』を読む会2月例会
日 時 2025年2月22日(土)
10:00~12:00
会 場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 『教育』2025年2月号
内 容

【2月号】
特集1  戦争の記憶と平和教育

特集2  他者・社会につながる国語教育

特集1では、「被害の歴史」として語られがちな戦争・平和教育に対して、「加害の歴史」や「周辺化されがちな事実」、「加害と被害の重層性」などとどう向き合い扱っていくことが求められているのか。その可能性を考える。
特集2では、ことばがそもそも他者との出会いと共同により獲得され、自らの思考を育んでいくものであるとしたら、他者とつながり、社会と関わっていく国語教育こそ求められるのではないか。そのような観点から国語教育の現在と未来を考える。

前回の
様子

 1月25日(土)、みやぎ教育文化研究センターで『教育』を読む会を開催しました。
 今回は、2025年1月号の特集1「ICT教育と探究学習の定型化を超える知を」を中心に議論しました。本特集に執筆された髙橋桂吾さんにもご参加頂き、扉と、富田充保論文「授業のICT化と定型化する『探究・総合学習』に向き合う」、そして、髙橋桂吾論文「ICT機器と教育現場」を輪読し、話し合いを行いました。
 定型化する「探究・総合学習」(7頁)については、小学校で75時間配当されている「総合的な学習の時間」について、「前年踏襲」的な運用がなされ、長期に渡る単元を計画し、実施することが難しい現状も語られました。また、「教師と子どもによるオリジナルな学びの文脈」(8頁)をいかに作り出していくかということが実際には難しく、子どもの学びを止めてしまわないかを過度に恐れる教師の現状と、地域の素材から単元を構想する教師の力量向上の難しさがあり、結果として、探究・総合学習の定型化を招いているのではないか。そこに、様々な思考ツールやパッケージ化された単元が「歓迎」される余地もあるのではないか。そんな話も出ました。どうしたら、「それぞれの学校で、地域の実態に応じた探究活動の経験値」や「課題に着眼した探究型の教材」を掘り起こし、活用していけるか(米家直子「『学び』を自分に取り戻す」、25頁)取組みに、多忙な教育現場でより多くの教職員が、無理なく取り組んでいけるでしょうか。
 髙橋さんは、「ICT機器“を”学ぶのではなく、ICT機器“で”学ぶ」、「ICT機器は、子どもの考えを広げ。豊かにするための道具」であるという「心構え」(33頁)を大切にし、ICTを活用することで子どもの学びが豊かになる場合には活用し、母語としての国語を学ぶ場合など、活用する必要がない、あるいは適切でない場合は用いないというような使い分けをしています。
 議論の中で出たエピソードで面白かったのは、「弱いロボット」を扱っている際に、子どもたちに「AIに教わりたい?」と聞いたら、1人の子どもを除いて皆が「教わりたくない」と答え、「教わりたい」と答えた子どもは、「先生がいないから」という理由でそう答えたという話です。教員不足が続く教育現場の深刻な状況のなかで、「教員が余裕をもって子ども・教科・教材と向き合うためのICT機器の在り方を考える」ことの難しさ、大切さを考えさせられます。
 そして、扉でも、また、池谷嘉夫論文(「資質・能力論のねらいと危うさ」)でも指摘されているように、何だか日常用語のように語られている「Society5.0」のような、「現代社会が直面する諸矛盾に主体的にどう向き合うのかを欠いた技術至上主義的な特定の社会像」(4頁)を疑ってみること、産業界の要請に基づく制限された範囲ないで発揮されることが想定され、行為の結果を個人に帰する主体性の強調(池谷論文51頁)、人類の文化遺産である古典や文学作品などの教科内容としての学問・芸術軽視と「実用性」の強調が孕む危険(同上50-53頁)についても考えないといけないと思いました。(文責:本田伊克)