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ゼミナールsirube 7月例会

日時 2022年7月25日(月)
13:30~16:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日配布
内容

6月に引き続いて、ヤスパースの教育哲学について読み進めます。今回は、ヤスパースの『現代の精神的状況』をテキストに、そこからの抜粋資料をもとにして読み進めます。ぜひご参加ください。お待ちしております。

新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
コロナの感染拡大などで中止等変更の場合は、ホームページでお知らせいたします。事前にご確認下さい。よろしくお願いいたします。

前回の
様子

【ヤスパースについて】
ヤスパースは1883年、ドイツの北西部の町オルデンブルクに生まれる。高校卒業後、ハイデルベルグとミュンヘンの大学で法学を学ぶが、1902年にニーチェも療養で訪れたというスイスのシルス・マリーアで医学部への転部を決意。ヤスパースは精神科医としての顔も持つ。1913年に『精神病理学総論』を著し精神病理学者としての地位を確立する。
1922年にハイデルブルク大学哲学科の正教授となり、以後本格的に哲学に取り組む。1932年に主著『哲学』で自らの哲学を確立する。しかし時代はファシズム台頭の時代、1933年ナチスにより大学運営への参加から締め出され、37年には教授職からも追放される。以後沈黙を強いられるとともに、妻ゲルトルートはユダヤ人だったため、戦中は妻を守ることに専心した。大戦末期には強制収容所に送られる一歩手前となるも、アメリカ軍が1945年3月30日にハイデルベルグを占領したことにより命を救われる。終戦後にハイデルブルク大学に教授として復職し、大学の復興に努める。1948年、バーゼル大学教授となる。
戦後は、国際的な反核運動のオピニオンリーダーの一人として活躍するとともに、自らの実存哲学を展開。1969年、バーゼルにて死去。

学習会では、ヤスパースの著作の一つ『教育の哲学的省察』をテキストとして、太田先生作成の抜粋資料をもとに行いました。
ヤスパースにとって愛と実存は一体のものであり、教育は教育者の愛のうちになされるが、その愛とは私たちのイメージする愛とは一味もふた味も違うようだ。ヤスパースの愛は、「闘争ながら問いただす」愛である。それは我と汝が面と向かい合い問いただしていく関係性のうちにあるもので、ヤスパースはそれを「闘争しながら愛する交わり」とも言っている。このような彼の教育に対する見方を根底で支えているのはソクラテスだ。
ヤスパースは3つの教育のあり方を示している。1つはスコラ的教育、2つにマイスター的教育、3つにソクラテス的教育と。ヤスパースは、いわゆる近代以降の学校教育をイメージしてよいスコラ的教育、卓越した人物(親方)による尊敬と愛によるマイスター的教育を教育のあり方として容認しているが、真の教育のあり方として念頭にあるのは3つ目のソクラテス的教育だ。ヤスパースは、次のように述べている。
「教師と生徒はその精神から見れば同等の水準に立ち、両者は理念上は自由であり、かぎりない問いと絶対者は知られないという無知が支配する。教師は助産婦的であり、生徒のうちにある諸力が生まれでるように助け、生徒のうちにある可能性が目覚まされる。ソクラテス的教師は、生徒を自分から突き放して彼自身に立ち返らせ、自らはパラドックスのうちに身を隠して、生徒を自分に近寄れなくするのである。」
こう考えるゆえにと言っていいだろう、ヤスパースは「大学教育はその本質から見てソクラテス的である」と明言している。他方で「大学の授業が堕落し始めるのは、特定の講義や演習に出席するのを強制するときである。そのあげくに勉強の規則化が押しつけられる。このような学校化は、手堅い平均的な成果をもたらそうとするものであるが、学習の自由を抑圧すると同時に、精神の生命さえも窒息させてしまうのである」と述べている。このようなヤスパースの指摘の背景には、すでに当時から見られた大学教育の堕落に対する危機感が反映していると思うが、ここに記された内容は、いまや日本の多くの大学で見られる一般的光景になっているのでは?と感じる。ヤスパースが、現代日本の大学教育を見たら何というだろうと感じた。
では、ヤスパースは教育とは何かについてどう考えていただろう。資料にもとづいてみていくと、次のようなヤスパースの人間観、そしてそのような人間観に支えられた教育のあり様が見えてくる。
ヤスパースは、人間存在について「人間とは何かは決して明白ではない。幼いときからどのように形成されるかが重要である。初めからは概観できない諸可能性が人間の本質を決定するのである。・・・いかなる人間も自分が何であり、またどのような能力があるのかを知ることができない。だが、人間はそれを知ろうと試みなければならない。この試みの方途を決定するのは、良心が個々の自我に語りかける決意の真剣さだけである」と言う。私とは何者か、そしてどう生きるべきか。それは最初から決まっているものではない。生きることのなかで自らの可能性とその使命を見出し自覚していくのだ。そしてこのような人間の歩みを励まし援助し、ときに導くのが教師の、そして教育の使命ということになる。しかしながら、自らの可能性と使命を見出し自覚していくのはあくまでも当の本人であって、教師や教育がそれを前もって正確に見抜き導くものではない。
では、いかに生きるかに対する選択と決断はいかになされるのか。それは、あれかこれかの計画による幾つかの選択肢からなされるようなものではなく、自由な人間の根源から決意された選択でなければならないという。またその決意は「他の単独者との交わりのなかで、また超越者の助け」の中でなされると言う。必ずしもここでいう「他の単独者」「超越者」が教師であるとヤスパースは言及しているわけではないが、教師が「単独者」のうちにある一人であることは明かと言えよう。
また実存哲学を説くヤスパースにとって人間は、ある理想化され理念化された抽象的で一般的なものとしてあるのではなく、歴史的背景や出来事と、今という現実世界に生きる具体的人間として描かれ問題とされるため、そこで求められる教育として伝統教育や政治教育などが上げられ、その必要性が述べられている。