『教育』を読む会 5月例会

日時 2018年5月26日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 『教育』2018年5月号
内容

特集1 正義はどこに
特集2 スイミーとごんぎつね  物語のもつ力

子どもの虐待や貧困、教師や労働者のブラックな労働環境、ハラスメント、政治の腐敗、行政の隠ぺい、不作為・・・・・・現代日本の教育と社会には、「不正義」があふれている。特集1は、このような「不正義」がまかり通るなかにあっても、その解決と克服に向けて歩む小さくとも確かな「わたしたちの正義」の可能性を歴史や理論から、社会の現実や教育実践から、そして子どもの生きる姿そのものから拾い上げ、交流したい。
特集2は、子どもが物語と出会い、その世界を楽しみながら教室の仲間たちとともに学び合い、新たな自己と物語世界を創造し生成する豊かな学びの可能性について語り合いたい。

前回の
様子

4月号の特集1「学校を楽しく、おもしろく」からは、岩川直樹さんの「教育に『あいだの温度』を」を読み合いました。
岩川さんは、冒頭「人が生きるには二つの温度がいる。生物として必要な空間の温度と、人間として必要な人と人のあいだの温度」だと言う。岩川さんは後者の温度を「あいだの温度」と命名する。今回に限らず、物事を論じる際の目のつけどころやネーミングがユニークで個性的だ。そして今日の日本社会や教育、学校からこの「あいだの温度」が失われていることを指摘しつつ、「何かを越えようともがく子どもとそれに応えようともがくおとなが、『あいだの温度』とともに織りなす関係的できごと」がまさに教育だ。だから、今こそ教育に「あいだの温度」を再生し取り戻さなくてはならないという。
ネーミングについて先に述べたが、教員評価・管理の手段として学校現場に導入されているPDCAサイクル(計画Plan-実行Do-評価Check-改善Act)に対し、岩川さんは「あいだの温度」を取り戻すもう一つのPDCAサイクル(知覚Perception-熟考Deliberation-挑戦Challenge-感得Appreciation)を提起する。参加者からは教員評価・管理のPDCAを換骨奪胎した岩川さんのPDCAは「なるほどうまいこと言うなと思った。」「これまで自分たちが授業実践として取り組んできたのは、岩川さんの提唱する目の前の子どもから立ち上げる実践だ。」「岩川さんのPDCAサイクルは教師の教育実践のPDCAというにとどまらず、子どもの認識発達のサイクルとしてもみることもできるのではないか。」などの感想や意見がなされた。
また「あいだの温度」を遮り拒むさまざまなモノサシ、今回の学習指導要領で言えば「資質・能力」は個人還元主義的な能力で、そこで求められる能力の多くは出力系の能動的なものが中心ではないか。感受性など受動的なものを育てることが忘れられているのでは? といった意見が聞かれた。
さらに「あいだの温度」の真逆をいく話と言っていいだろうか。この4月、仙台の某有名大学に入った学生が、高校では「いじめ」はなかった。受験勉強に忙しくて、そんな時間はないと話したそうだ。いじめがないのはよいけれど、人と人との間がまさに寸断されたこのような営みが教育と言えるだろうか?と心配になった。
学級通信をテーマにした特集2からは、元小学校教師である霜村三二さんの「『愛のある手紙』として学級通信を書く」を読み合った。霜村さんの学級通信の名前は、まさにタイトル通り「らぶれたあ」。だから、先ずはその中には愛がなくてはならない。また「れたあ」だから、事務的なお知らせ情報的な文書であってもいけない。学級通信は、「書き手の子どもへの愛と、読み手(保護者のほか、ぼくの場合は職場の全員)を意識しておくことが必要だ。」という。
午後から他の企画が入っていたこともあって充分に話し合うことができなかった。参加者からは、「霜村さんは子どもの固有名があふれるなる心がけていたようだが、固有名を出すことにはいろいろな配慮が必要なことから出さないで書いている」というものも含め、学級通信を出すことが困難になってきている現状が話になったりした。