『教育』を読む会 1月例会

日時 2017年1月21日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
(仙台市青葉区柏木1-2-45 フォレスト仙台ビル4F)
参加費 無料
資料代 『教育』1月号
内容

特集1 子どもが子どもである時間
特集2 「周辺化」される子どもたち

今月号巻頭の「とびらのことば」は、「いま子どもの時間は、何かに急かされるように、奪われ、切り捨てられ、あわただしく消え去っていくように見える。子どもは、かけがえのない自分の時間をたっぷりと味わい、過ごすことができているだろうか」と問いかける。
そもそも時間に、「子どもの」と特定するような時間があるのだろうか。あるとすれば、それはどのような時間なのだろう。改めて、今の子どもたちの過ごす時間の有り様などから、子どもの時間を考えます。
特集2では、障害や病気のある子、非行に走った子、経済的・家庭的な困難を抱えている子、外国籍の子など、少数者の立場におかれ、ときに社会的排除にさらされる子たちの現状から、今の教育と学校について考えます。

その他

12月の様子

12月の例会は、堀尾輝久さんへのインタビュー「『地球時代』の知性と教養を求めて」を読み合いました。
戦後教育学を牽引し、その時々の教育問題にも積極的に関わり、自らの学問研究を進めてきた堀尾さん自身の生き方や教育に対する基本的な視座や姿勢が随所に感じられるインタビューとなっていました。
以下、みんなで読み合った堀尾さんのインタビューを含め、12月号の感想が本田さんから寄せられましたので、ここに掲載します。

反知性主義への対抗原理として、知性主義ではなく「人間主義」(38頁)を位置付けるべきだとする堀尾さんの説は、「知性」というだけでは知識基盤社会が要求するリテラシーや労働能力の獲得のみが、社会変革の展望を欠いたまま強調され、グローバル資本主義が席巻し辺境なナショナリズムが蔓延する現状を打破する理念たりえないという意識からでしょうか。

生産力と生産関係、両者の矛盾を孕んだ統一体としての生産様式…その現在的様態。それによって、人間の能力と人格がいかに形成され、あるまとまりを作り出しているか。そこにどのような疎外があるか、どう打開するか。

こうした問題は、木村優論文でも問われていると思いました。ただ、OECD路線の専門職コミュニティ、地域コミュニティづくりの方向性だけで大丈夫なのかという不安は感じますが…。

また、千田論文でも指摘されているように、人間はその尊厳や生存を脅かされると、自らを脅かしている社会の在り方を批判し克復しようと力を合わせるよりも、ともすれば自分より「弱い」存在とみなした人びとを攻撃し、憂さを晴らす方向に走ってしまう傾向をもっているかもしれません。
自分の人生について主人公である(佐藤和夫)ことの大切さと、そうあることのできないもどかしさややるせなさと。
自らの人生展望を切り開けずにいる若者(だけではないでしょうが)たちが、国家と自身を重ね、外に敵の「脅威」を見いだす傾向(市川論文にも指摘)も、こうしたことと重なって生じているかもしれません。