2月例会は、特集1「AI時代の子どもと教育」の座談会「AI『道具』論を超えて」を読み合い意見交流しました。
座談会には、特集に論稿を書かれているメンバーが参加しており、座談会そのものの分量は少ないものの、各論稿執筆者のAIに対するスタンスや問題意識を補足するものになっている。また宮教大の本田さんからも事前に特集についての感想が寄せられており、それらも読み合わせをしながら意見交流をした。
この日は、例会参加者に現場教師がいなかったため、県内の現状などは聞くことができなかった。座談会では、山本さんが学校現場の受け止めについて「デジタル技術に関する知識の『量』と、スタンスの『質』が絡み合って議論されている」とまとめているが、宮城も基本的にはそういう状況なのだろうと推測される。
以下、例会では次のような意見が出され交流がされました。
・高校教師の奥山さんの実践は興味深く、具体的に授業の話をもっと書いてほしかった。
・久富論文の「真の危機」がよくわからなかった。これまでの学校文化が、具体的にどのようなものなのか。職員の中での継承や、授業における対話による学習や、五感を通した子ども理解などが得られなくなるということなのだろうか。その辺がよくつかめなかった。
・授業に力を入れている力量のある先生方が、学校教育に限界を感じて学校を離れる現状がでてきているとの指摘がありびっくりしたが、実際どうなのだろう。
・角谷さんの発言に「今まで一つの答えを見つけるのに一生懸命時間をかけて、そこで時間切れになったり、答えがわからないまま、疑問を持ったことさえ忘れていったりしていました」とあり、AIを使うことで「新たな問い」を深めることができるかもしれないとある。なるほどと思いつつも、時間切れになったり、答えがわからないままというのはいけないことなのだろうか? 2月号「教育の言葉」の中村桂子さんの言葉を考えると…? という気もする。
・今の現代社会、若者文化はタイパ・コスパの時代。すぐに答えがわかったり導き出されるのは一概に悪いと言えないが、大田堯さんなど、これまで学習における問いと答えの「間」なんて言われてきたことを考えると、それでいいのだろうかと思ったりもする。どこに時間をかけるのかの問題かもしれないが。これは、久富さんの学校文化の変化ともかかわるだろうか。
・歴史の大きな流れは、基本的に効率化を求めてきた。だから効率化そのものが問題ではないのではないか。などなど
先にも触れたが、今回は現場参加者がいなかったため、もっと現場の話をテキストとともに例会でも聞けるとよかった。
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