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『教育』を読む会 11月例会
日 時 2025年11 月8日(土)
10:00~12:00
会 場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 『教育』2025年11月号(ない方にはコピーをおしします)
内 容

【11月号】
特集1  学校・地域に “子どもの時間” を取り戻す

特集2  「わたしを語る」ためのフェミニズム

 子どもたちは今、『子ども期』を豊かに充実して生きているだろうか? 生きることの喜びを感じながら、未来への“憧れ”を持って生活しているだろうか? 子どもが子どもらしく生きることのできる“時間や空間”が、今日の日本社会や学校において、あるいは日々の暮らしの中で、軽視され奪われているように思う。
 特集1では、超過密は教育課程の問題や、子どもの権利からみて今学校に真に求められているものは何かを問い、幼・小・中および地域等において子どもが生き生きと今を生き、瞳を輝かせる取り組みを模索している教師たちの実践を中心に紹介します。

 「余裕がない」という言葉が教育現場を席巻し、そのなかで教師たちは管理の手法で教室を整える。そして、子どもたちは自分の声と身体のさざめきを押し殺し、閉じ込めることを正しいと認識し成長する。教師自身が語れない、聞き取れない余裕のなさから自らを救い出すためにはどうしたらよいのだろうか。
 特集2では、そのことについてフェミニズムの知見から考えてみたい。

 

 

前回の
様子

宮城『教育』を読む会2025年10月例会

 10月11日(土)10時~12時に、みやぎ教育文化研究センターで『教育』を読む会を開催しました。
 今回は、2025年10月号の特集1「教職のいまを生きる、語る、支える」を中心に議論しました。とびら(4頁)と、本田伊克論文「教師が幸せになる学校に」(5-12頁)を輪読し、意見交流をしました。
 教師が成長するための「循環性が壊れかけている」(とびら)状況のなかで、ベテラン世代の教員も、若手教員以上に追い詰められ、「現在の教職困難を生み出すことに加担させられている」(同)構造的な問題もあります。職場に分断が生まれ、「『妖怪』だらけの学校」(8頁)になりかねない状況でもあります。
 教師と保護者の相互理解・信頼が失われ、ともに子育て・教育をしていくという機運が薄れています。落合ゆうさんが書いているように、「子どもを中心に対話を広げていく」(27頁)ことが必要だけど、なかなか難しい現実もあります。また、様々な活動や対応に追われる職場では子どもの悩みを聴く余裕もない。新任教員に対して、どれだけ助言や指導をしてよいのか、その余裕があるのか。話し合いで、そのような話題も出ました。
 山﨑隆夫さん(「若い教師たちと『Mカフェ』」42-47頁)や阿部真一さん(「初任者が育つ、学校づくりを」48-53頁)の取り組みは、若手教師を励まし、支える重要なもので、読んでいて励まされました。
 しかし、国や各地方自治体の政策的な取り組みの反省とさらなる改善も不可欠だ。新任教員を「辞めさせない」ような配慮は、それなりに進んでいるようにも思う。だが、畑山和則論文(「高知県の採用審査と新採教員」37-41頁)が明らかにしている高知県の教員採用の在り方が典型的に示すように、なぜ教員志望者が減っているのか、臨時採用教員が大切にされていない状況はどうしてなのかなどについて反省と見通しを欠いた対応が繰り返されているように思われます。板橋由太朗さんの論文「去る人たちと、その背景を想う」(31-36)頁の内容を重く受け止めて読みました。
 本誌に掲載された桜井夏美さんの「先生も学校が楽しい!」(13-18頁)を読んで、教職経験の長い先生にとっても「学校が楽しい」と思い続けてほしいと思いました。「私の初任1年目奮闘記」(19-22頁)を書いてくれた綿来つばめさん。大変なこともあった1年目をよく頑張りました。特別支援教育とは一人ひとりの子どもたちの「特別」を見つけることだと気づかれた蝦名郁弥さん(「ひいきをするということ」23-26頁)
 そして、教師が育ち合う職場づくりには、学校管理職の役割も大きいですね。特集2「教職員とともにある校長・学校運営」と合わせて読むことで、「教師が幸せになる学校」づくり、もっと言えば、学校に関わるすべての人が幸せになる教育の営みのこれからとこの先を展望していきたいし、自分にできることをしていきたいと思いました。 
(文責:本田伊克)。