年月日 : 2011/6/9
投稿者 : 佐藤よし子さん

教師も子どもも普通の感情を普通に出せる場所に

「子どもも大変」という意見を先日この欄で読ませてもらいました。
子どもはまわりの状況や自分がひとからどう思われ扱われているかということにかけてはある意味で大人より敏感で、それゆえ傷つくことも多いということを私も数年間の教師生活で少しはわかってきました。

性格も関係すると思いますが。
私は四月に出産し、育児休業中の教師です。

二月から産前休暇に入り、家であの震災にあいました。
幸い私の勤める学校は、人的被害はありませんでしたが、同僚や仲間の教師たちの苦労は大変なものがあり、日々胸を痛めています。

メールを思いたったのは、前の職場でお世話になった先輩のK先生と今日偶然に出会い、話をしたことです。
私は風邪気味で病院に出かけ、Kさんは震災以来体調を崩して検査のため来院していたのでした。

お話を聞くと、Kさんは今回の震災で親しい人や教え子を何人か失くされたそうです。
それなのに、一人になったときでも泣くわけでもなく、お焼香に行っても、何か呆然として涙が出てこないというのです。

こんな自分は人からはどう見えるだろう。
遺族の方は、涙も見せない自分をどう思うだろう、胸はかきむしられるほど苦しいのに、感情が普通にわいてこない。

そのうちに夜眠れなくなり、呼吸も苦しくなったというのでした。
Kさんは、真面目で職場でも信頼の厚い方、新任の私などはどれだけ助けていただいたかわかりません。

その方が、そんな状態で苦しんでいるとは思ってもみませんでした。
休業中の自分の身を思うと後ろめたさを感じながら「先生、先生は今疲れているんだと思います。本当に悲しいときは涙も出ないと何かで読んだことがあります。震災はまだ起こったばかり。今はまだその渦中なんです。時間がきっと解決してくれます。」と言うのが精一杯でした。

慰めではなく、本心から出たことばです。
学校というただでさえ忙しい職場、被災したひとびとへのお世話、教え子の死…想像を超える事態に心身が適応しきれなくなった自分を責める苦しみがさらにKさんを追い込んでいるようでした。

短い時間のおしゃべりでしたが、「ありがとう、なんだか気が楽になったわ。」とKさんは言いました。職場では弱音を吐く暇もないとのことでした。

来年には私も戻る現場、学校が、教師も子どもも普通の感情を普通に出せる場所になっていることを願っています。
勝手な願いと知りつつ。