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ゼミナールsirube 10月例会

日時 2022年10月24日(月)
13:30~16:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日配布
内容

前回(9月)に引き続き、ヴィゴツキーを取り上げます。今回は、ヴィゴツキーの『思考と言語』をテキストに、そこからの抜粋資料をもとに読み進める予定でいます。ぜひご参加ください。お待ちしております。

新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
コロナの感染拡大などで中止等変更の場合は、ホームページでお知らせいたします。事前にご確認下さい。よろしくお願いいたします。

前回の
様子

9月の会は、ヴィゴツキーの『子どもの想像力と創造』『子どもの心はつくられる』の2冊を取り上げました。『子どもの想像力と創造』は、ヴィゴツキーの講演録で、『子どもの心はつくられる』はレニングラード教育大学での講義録です。その中から、主に記憶と想像力に関する部分を抜き出した抜粋資料をもとに読み進めていきました。

【ヴィゴツキーについて】
ヴィゴツキーは、1896年にベラルーシのヴォルシャの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、南部のホメリで育つ。モスクワ大学に入学し法学を専攻するが、並行してシャニャフスキー人民大学で歴史と哲学を学ぶ。彼の探究心は旺盛で社会科学、心理学、言語学、文学、美術などと広がり、これらの知識がのちの心理学研究の基礎となる。なお在学中にロシア革命を経験する。
大学を卒業すると1918年からホメリに帰り文学と心理学担当の教師となる。同時に演劇学校で美学と美術史も講義する。1924年、モスクワの心理学研究所に勤務となり、本格的な研究を始める。同時に教育人民委員部の障害児教育課主任を兼務する。
1926年、唯物弁証法の立場から現代心理学諸流派の批判的検討にとりかかり『心理学の危機』を執筆。『教育心理学』を出版。1927年、『心理学の危機の歴史的意味』。1928年、「子どもの文化的発達の問題」を発表。通信教育用教科書『学童期の児童学』を刊行。1930年、『行動の歴史に関する試論』をルリヤと共著。通信教育用教科書『思春期の児童学』を刊行。
1931年、精神病理学の研究の必要性を感じ、心理学の教授兼医学部生となる。『障害児のための発達診断および育児相談』、『高次精神機能の発達史』の執筆。ウクライナの神経心理学研究所に新設された心理学部門の要請に応じて、ハルキウ市に主な活動の拠点を移す。1934年、死去。『思考と言語』を刊行。『児童期における教授と認識の発達』、『統合失調症時の思考』も発表される。1935年、論文集『教授―学習過程における子どもの知的発達』刊行。

以下、当日の資料から特に中心になる箇所の引用と、若干の感想など。
『子どもの想像力と創造』から
◆「想像活動のもっとも重要な法則は次のように定式化できます。つまり、想像力による創造活動は、人間の過去体験がどれだけ豊富で多様であるかに直接依存しているということです。というのは過去体験が空想を構成する素材を提供しているからです。人間の過去体験が豊かであればあるほど、その人の創造に資する素材も多くなります。まさにそのために子どもの想像力は大人の想像力よりも貧弱なのです」

◆「芸術作品が人々の社会的意識に対してこのような作用(複雑な人生の諸関係を説明し、社会的意識に対して影響を与えること)を及ぼすのは、ひとえにその作品が内的論理を自らのうちに持っているからです。空想イメージは、発展していくイメージの内的論理にしたがうのであり、またその内的論理は、自らの世界と外の世界との間に作品を確立させている結びつきによって規定されているのです。」
ヴィゴツキーは、芸術作品における内的論理の具体例として、トルストイが語った『戦争と平和』におけるナターシャという登場人物の誕生経過や、『アンナ・カレーニナ』の内的論理による物語展開(「私の主人公たちは、私が望んでもいないことを時々しでかすのさ」)を上げている。

◆「私たちが創造と呼んでいるものは、非常に長い間の内的な成熟と種の発達の結果としてできあがった、止めようのない産みの行為です。この過程の最初には、つねに人間の経験の基盤となっている外面的、内面的な知覚がある ~ 中略~ 。つまり子どもが見たり聞いたりしているものは、その子の将来のための支点であるわけです。その子どもは、後に空想を作るときの素材を蓄えています。さらにこの素材を加工していく複雑な過程が続きます。この過程のもっとも重要な構成部分となっているものは、知覚した心的体験を分解することと連想することです。」

◆「もし周囲の生活が人間に対して課題を与えなかったならば、創造が生まれるための土台は何も存在しないでしょう。周囲の世界に完全に適応している存在は何一つ希望することがなく、何かをしようとすることもなく、何も作り出さないのです。それゆえに創造にはつねに不適応があり、その不適応から要求や希望が生まれるのです。
子どもの経験は成人の経験に比べてずっと乏しいのです。また子どもの興味は大人よりずっと単純で、初歩的で、貧弱であることもわかっています。それゆえ子どもの想像力は豊かなのではなく、大人に比べて乏しいのです。すなわち子どもが発達していく過程で想像力も発達し、成人になって初めて想像力も成熟するのです。」
注目したのは、創造の源泉が外部世界への不適応であり、不適応から要求や希望が生まれるという指摘。つまり逆説的に言えば、この世界に満足し適応した存在からは創造は生まれないということになる。宮沢賢治が、農民芸術概論綱要に記した「永久の未完成これ完成である」との言葉を思い出した。

◆「子どもの創造の本源的な形態は、混合主義的な創造です。つまり、そこでは芸術の個々の種類が分化されず、専門化されていないのです。子どもたちは芸術の様々な種類をひっくるめて一つにしてしまいます。子どもは絵を描くと同時に、自分が描いているものを話します。子どもは劇にして、自分の役のセリフを作りもします。この混合主義synclotismは、子どもの芸術のあらゆる種類が枝分かれしていく共通の根を意味します。その共通の根源は子どもの遊びであり、この遊びが子どもの芸術創造の準備段階の役目をします」
創造の本源的な形態は混合主義的な創造であり、その混合主義的な創造には共通の根があり、それは子どもの遊びであるとの指摘は、幼児教育、保育にかかわっている者には、毎日の活動のなかで見出されることだと思った。しかし、今日の知育偏重の教育や子育てが主となるなかで、子どもの遊びについてその重要性を感じている大人がどれだけいるだろうか。

『子どもの心はつくられる』から
◆「幼い子どもは個々の事物をまったく知覚しないばかりか、遊びや食事の場面であろうと、全体的状況を知覚しています。年長の子どもについてはもちろんのこと、幼児の知覚はどんな場合でも全体的状況によって規定されるのです。」
◆「幼児期の子どもの思考は多くの点で記憶によって決定されるのです。(中略)幼児期の子どもにとって思考とは想起を意味し、自分の先行体験やその変形に基づいているのです。きわめて早期におけるほど思考と記憶に高い相関関係のある時期は他になく、その時期に思考が記憶に直接依存して発達するのです。」
上記二つの指摘から、幼児期の子どもの事物や出来事の把握(知覚)は、全体的状況に規定され、また思考も先行体験やその変形にもとづく記憶に大きく依存するとの主張を読み取ることができる。ヴィゴツキーは、その一例として、子どもがカタツムリという生き物について「小さくて、ぬるぬるしていて、足で踏みつぶす」と説明することを上げ、「子どもの思考の具体性や、そのシンクレティックな性質は、子どもの思考がとりわけ記憶に基づいている」ことを示しているという。

◆「子どもが言語の外面的な側面を獲得するときには、一つの単語から語句へ、単純な語句から語句の組み合わせへと進んでいき、意味の獲得のときには、語句の組み合わせから個々の語句の分離へ、個々の語句から単語の組み合わせの分離へ、そしてようやく最後になって個々の単語の分離へと進むのです。」
子どもは、言語の外面的な側面(他者とのコミュニケーションとしての言語)の獲得においては、一つの単語から語句、単純な語句から語句の組み合わせと進むが、意味の獲得においてはその逆で、語句の組み合わせから個々の語句の分離へ、個々の語句から単語の組み合わせの分離へと逆進的であるという。これらの事情は、先に見た幼児期における知覚が全体的状況に規定され、また思考が記憶にもとづいているという、その事とどう関連しているのか、いないのか。