『教育』を読む会 6月例会

日時 2022年6月25日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 『教育』2022年6月号
内容

【6月号】
特集1  保護者の願い、学校の現在
特集2  ヤングケアラーが問いかけるもの

保護者が学校という場で他の保護者とつながったり、子どもと教育について教師と語り合ったりする機会がコロナ禍によって少なくなった。いやコロナ禍前からそんなつながりはなく、PTAは不要だという声もある。保護者にとって学校はどういう場になり得るのか。特集1では、保護者の願いや取り組みについての報告や論文をもとに、学校の今とこれからについて考え合いたい。
ヤングケアラーという言葉によって、子ども期に遊んだり学んだりする権利を奪われている子どもの存在が可視化されてきた。そして多くの子どもたちが家庭を下支えし、人知れず困難をかかえてきている実態が明らかになってきている。特集2では、ヤングケアラーの子どもたちを支える研究者や養護教諭、当事者の報告から家族の介護・介助は誰がどのように担う必要があるのだろうか。現代日本社会におけるケアのあり方を考えたい。

 

 

前回の
様子

5月28日(土)の10:00から、『教育』を読む会を開催しました。7名の参加者でした。
今回は、2022年5月号のうち、本田伊克の論文「子どもが学ぶことばの『意味』を捉える学力論」を中心に検討しました。ちなみにこの感想の執筆者自身が書いたものです。
著者からこの論文で提起したかったことについて説明があり、内容に関わって話し合いをしました。
参加者からは、いま、改めて1950年代に学力をめぐって何が論じられてきたかを考え直すべきではないかという意見がありました。この論稿は、1950年代に提起された基礎学力に関わる議論や、広岡亮蔵氏の「態度」概念を中心とした学力論のいずれにも欠けている点を考え直したいという問題意識をもって書こうとしたところがあり、この点からも大切な指摘でした。
また、学力の内容について、文化内容を子どもが知識として習得し(61頁)とあるが、たとえば身体・運動文化について「知識」というだけでは収まらないものが出てきそうだという指摘もありました。確かにそうで、知識とスキル・・・なのか、遠山啓氏が「観」「学」「術」として提起していたことにヒントがあるのかな・・・などと考えました。
また、学力の内容=構造と機能について、学びを通じた子どもへの知の身に付き方を学力論としてどう引き取れるのか、まだよくわからないという指摘もありました。
今回の論稿は、子どものそれぞれの願いや要求が、学校における共同的な学習のなかでどのような力として培われ、他者や世界に働きかけていく力となるのかという、学力の機能的側面を議論するためにはまず、子どもが様々な文化内容をどのように学び、意味づけているのか(=学力の内容=構造的側面)を捉えないといけないだろうという点を指摘しています。
この点についても、例示した算数の「交換法則」の事例だけで十分かどうかということもあります(ちなみに、65頁の下段左から3行目の「結合法則」は「交換法則」の間違いです)。
事実に即して組み立てた授業を通じて、子どもたちが自分で問いを立てていくようになること、学ぶことによって子どもが変わるということを、学力論としてはどのように捉えるのか。
参加者からの意見は、その先の、「学力と人格」の関係を問い直すことと、今回の学力論との関係をさらに問うものでした。著者自身、学力の内容=構造的側面と機能的側面の関係について論じるための作業をさらに行っているところでしたので、勉強になりました。(文責:本田伊克)