『教育』を読む会 7月例会

日時 2021年7月22日(木)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 『教育』2021年7月号
内容

【7月号】
特集1  大学はどこへむかうのか
特集2  青年期教育の課題

国公立大学の法人化は、大学の自治を「解体」し、教育・研究のあり方を大きく変えた。
かつて慎重さを求められた「産・官・学」連携は、いまや「当たりまえ」。 この流れに乗れない学問領域・大学・学部は、社会的に役立たないものとみなされ、リストラの対象にさえなる。 政財界にとって「役に立つ」かどうかが、学問・研究の価値を決定する事態は、憲法が保障する学問の自由とは相容れない。この状況をもっとも反映しているのが教員養成の分野であるのかもしれない。
現在の大学は、本来の当事者である学生の知的関心や生き方の探究に応えられるのか。特集1は、「国民のための大学」という古くて、新しいテーマを、あらためて考える。

10代後半から20代前半の若者の生活や進路はさまざまだ。しかし同世代の学びや成長における共通の課題もあるのではないだろうか。そのような問題意識のもと、特集2では、寄せられた4本の報告をもとに、この世代の生活と成長、青年期の課題について考える。

※ 特集「とびら」の文章などをもとにまとめました。

前回の
様子

6月の例会は8名の参加。
6月号の特集2には山沢さん、本田さんが執筆していることもあり、そちらを読むことにしたが、残念ながら二人とも仕事などで参加できず。次回の時にでも二人から話を聞けるとよいと思う。
特集2は、近年いわゆる「教育実践記録」がなかなか書かれなくなっている中で、改めて教師が自身の教育実践を「物語」として描くことの意義と意味を試みる企画となっている。本特集では、山沢さんの企画意図を記したもの。そして教務主任として子どもたちと担任教師を支える滝沢富明さんの物語、特別支援学級のA君の成長を支え寄り添う担任教師加茂勇さんとスクールカウンセラーの石本豪さんによる物語、最後に本田さんによる二つの物語についての考察となっている。
例会では通常1本、多くて2本の論稿を読むの精一杯なのに、今回は4本すべてを読むという中身の濃い例会となった。以下、滝沢さんの教育実践と加茂さん・石本さんの教育実践について、例会でのやり取りを踏まえて簡単な感想を記す。

滝沢さんは、クラスづくりがうまく行かず悩んでいる担任教師4人を取り上げつつ、クラスや授業になじめず教室を飛び出したり離席して歩き回る子たちに寄り添う教務主任としての自分の姿と思いを描き出している。例会では、これは教育実践記録なのだろうかとの意見が出された。4人の悩める教師の思いや声が聞こえてこない。教務主任の滝沢さんが担任教師4人にどうかかわり担任の思いをどう受け止めたのか。そしてどう動いたのか、寄り添おうとしたのか。そのあたりが文章からは見えてこない。子どもを中心に、担任と滝沢さんのそれぞれの悩みや思い、取り組みが描かれるとよかったのではないか(実際に滝沢さんは教務主任として、日々4人の教師と同僚として接していたはずなのだから)。一方で、論稿から見えてくるように今の学校はこんなに大変なのかとの質問や、他人ごとではないという現場の実情も語られた。教育実践がうまく行ったいかないではなく、教師が何をどこまで向き合い格闘したのか。そのことが大切ではないかとの話になった。

加茂さんと石本さんの報告は、特別支援学級に籍をおきながら交流学級でも授業を受けているA君の成長と思いを、彼とお母さんの語りを織り交ぜながら描き出している。多くの教育実践が教師によって語られる中で、本報告はA君に関わる担任とカウンセラーによる報告というところに、今日の子どもたちの家庭生活や家族構成の多様さ・複雑さが反映してるのではないだろうか。それはまた、当たり前と言えばそれまでだが、子どもの成長を支えるには、学校での授業や取り組みだけではなく、その子が背負っている生活背景の事実をつかむこと、その子に関わるさまざまな大人たちによって織りなされることを示してもいるとも言えよう。会の中では、背景をつかむことは大事だがあまりにも重すぎて、それにどう教師としてかかわっていけばいいのか行けるのか難しいという話や、今の学校は忙しさの中で教育そのものが事務化していないかという意見などが出された。
本報告は、担任とのやり取りの中でA君が語る「頑張らないといけない」と「優しい」という言葉、あるいはカウンセラーとのやりとりのなかでの「優しく接したい」という言葉を中心に彼の思いと願いを読み取り、教師としてカウンセラーとしてA君と家族に寄り添いながら支える姿を描いている。A君の内面にあるさまざまな願いや葛藤など読者として、いろいろ考えさせられた。