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ゼミナールsirube12月例会

日時 2019年12月23日(月)
13:30~16:30
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 当日配布
内容

今年最後のゼミナールSirubeもシュタイナーの教育思想を読み進めます。今回で6回目となりますから、1年の半分をシュタイナーについて考えてきたことになります。参加者はみな、シュタイナーの研究者になりたいとか論文を書こうとか、そんな大それたことを考えているわけではありません(実は密かに持っている方もいるかもしれませんが)。
月1回の会ですから、一月すぎると前回やったことをすっかり忘れていたりもしますが、そんなときもみんなで確かめながら、それぞれの思いとペースを大切にしながら進めています。

こんな会のなかで、参加者みなが共通して感じていることがあるとするなら、その一つは、せわしい日々の暮らしのなかで「考える」という営みを他者と共有し、その中に自らの精神をひたしながら、そのような時間と空間をともに生きることの心地よさだろうと思います。と同時に、人類の歴史のなかで紡ぎだされてきた教育思想を読み合い、今の教育や子育てのあり方、あるいは自らの生き方や生活のあり様を振り返る機会にもなっているのだろうと思います。

シュタイナーに興味関心がある方はもちろん、こんなゼミナールSirubeの時間と空間を共にしたいという方も、誰でも参加できます。ぜひご参加下さい。お待ちしております。

前回の
様子

シュタイナーをこれまで読んできて感じる印象は、その教育思想の根本に生命原理がどっしりと腰をおろし、その生命原理に関連づけられながら人が育つということの一切が展開され、彼の霊的なものや神秘主義も、その生命の持つ神秘とともに共振・共鳴しているということです。そもそも彼は子ども一人ひとりのなかに宇宙を見、その中心を見ているのですから。その思想展開のスケールの大きさは大したものですし、そういう宇宙が、すでに子どもではない私たち大人のなかにも、もしかしたら干からびずに脈々と息づいているかもと思うと、何というか自分という存在が今までとは異なって感じられもしてきます。
以下は、太田先生が読書会のために用意してくださった抜萃資料(シュタイナーの『教育の根底を支える精神的心意的な諸力』)から、生命に関わる記述を幾つか紹介し、その引用に関わって感じたことを想うままに記します。

★小学校課程においては・・・中略・・・すべての授業とすべての教育活動によって、何よりもまずリズム組織(呼吸と血液循環機能、肺と心臓)に働きかけるということを知らなければなりません。このリズム組織以外の何かに働きかけようとするあらゆる営みはすべて間違いです。それでは一体何がリズム組織に働きかけ、またその中で活動しているのでしょうか。それは諸々の芸術的な物の形と芸術的な営みとの中で、人間に影響を及ぼしているものに他なりません。すべての音楽的なものは、リズム組織と結びついています。音楽はリズムとして生きており、それが人間自身のリズム組織の中で、その営みを継続していきます。・・・中略・・・音楽だけではなく、もっと繊細で直接的なあり方によって、彫刻や絵画も同じ作用を及ぼします。色彩の調和や色彩の奏でるメロディーもまた、人間の内部においてそのリズム的機能組織の現象として生き続けるのです。
リズム組織は、生命に直結するものといえよう。そしてシュタイナーは、小学校における教育活動全体がリズム組織に働きかける活動でなければならないという。またそのような教育活動は、音楽や彫刻や絵画など芸術的な活動であると。彼は、教育は芸術活動であり、そうでなければならないというのだ。だからだろう彼は教育活動の一領域を指示するような芸術教育という用語を用いず、教育芸術と言う。

★それぞれの並行クラスでまったく同じ授業がまったく相異なる方法で行われます。それはある気質をもつ教師が授業をする場合と、別の気質を持つもうひとりの教師が授業をするのでは、同じ内容を取り扱っても同じ授業にはならないからです。教師とクラス全体との間に正しい関係が結ばれているときだけ、授業は浄化作用を発揮するのです。それゆえに一人ひとりの教師は、自分の担当するクラスにふさわしい形で授業を行わなければなりません。生命がさまざまな形をとって生まれるのと同じように、生命に根ざした授業や教育は、さまざまな形でいまれるのです。
並行クラスの並行とは同学年のクラスのことだろう。そこでの授業は同じ授業が異なった方法で行われるのだという。なぜなら教師の気質とクラスの子どもたちとの関係性によって授業は営まれ、決まるからだ。そこに個々の教師と子どもたちとの、そして授業の個性が生まれるといえよう。至極当然のことのようにも思われるが、学力テストの点数を上げることが学校の至上命題のようになり、さまざまに授業のスタンダード化が進み、それらが常態化しつつある今日の学校の現状を思うと、そうも言えない現状が見えてくる。と同時にシュタイナーの授業への思索の根底にも、生命が息づいていることがわかる。

★私は統一体から出発します。「人生に存在するものは、いつも一つの総体である。それは総体として捉えなければならず、どんなに多種多様なものでも一つの総体をなしているのだ」と。私は統一体から出発しますので、総体を部分化していき、統一性のなかに多様性として部分を求めていきます。一単位はつねに全体です。そして単位になかに数が求められました。1に1が付け加えられて数が生まれると考えたのではなく、すべての数は全体のなかに内在していると考え、総体の中から有機的に発生すると思ったのです。・・・このようにして私たちは全体から出発し、部分へと進んで行き、こうして足し算というものを生命を伴って把握するのです。なぜなら足し算の本質をなすものは、総計と部分であり、部分とは総計のなかに潜在しているからです。
この引用部分は、シュタイナーが物事を全体から部分へと有機的に把握することの重要性を算数の授業と関わらせて述べるとともに、そのような学びが子どもの倫理的な育ちにもかかわることを述べている。この記述を読みながら頭に浮かんだのは、受精卵が分裂していくイメージだ。シュタイナーが受精卵の分裂していく様を思ったかはわからないが、確かに足し算のなかに生命を見出しているのだろうと感じた。

★色彩からいのちがえられるのです。何かを描くということは、もっとずっとあとになってから始めてよいのです。あまり早くから何かを描くことを始めると、いのちそのものに対しての感覚が失われ、死物に対しての感覚が頭をもたげてくるのです。この方法では、形を持つものへの移行がこの基礎を欠いている場合よりもはるかに生命に溢れたものとなります。色彩の調和に対する感覚を呼び覚ましますと、子どもたちはいろいろな意味で人生を豊かにしてくれる品物を作るようになります。ここでなににもまして大切なのは、子どもに本当の生命感情を目覚めさせることです。子どもを生のなかへ力強く引き入れていくことは、実に形態と色彩とを用いることによって可能となります。

ずいぶん前になるが、美術教育の学習会で点描画に取り組んだときのこと。A4用紙半分ぐらいの大きさの紙に、まずは自分の好きな色でもいいし、そのときの自分の気持ちの色でもかまわない、まずは最初の一点を打ち、その隣にはその色より少し濃かったり薄かったりする色を思うままに好きに打っていく。すると自分でも想像していなかったような不思議な模様や色彩の絵が生まれるてくるのだ。それは参加者一人ひとりとても個性的で、確かにそれぞれの画面には色のリズムがあり躍動が感じられる。でも、それらは前もって決められた対象を描いたものではないのだ。じゃあ、そこに描かれたものは何なのだろう。そんなことを思いつつシュタイナーの文章を読んだ。