ゼミナールsirube11月例会

日時 2019年11月11日(月)
13:30~16:30
会場 みやぎ教育文化研究センター
会場の詳細はこちら
参加費 無料
テキスト 『人間教育の哲学史』(太田直道 著)、当日配付資料
内容

シュタイナーの教育思想にとりかかって5回目となりますが、引き続きテキストと太田先生作成の資料をもとにシュタイナーの教育思想を読み進めていきます。
ちなみにテキスト『人間教育の哲学史は、420ページ「教育芸術」からとなります。資料は当日お渡ししますが、シュタイナーがオックスフォードで行った講演『教育の根底を支える精神的心意的な諸力』の抜萃資料などを扱います。
これまで参加していない方でも関心のある方は、ぜひご参加下さい。お待ちしております。

前回の
様子

今回は、シュタイナーの少年期教育に関する部分を読み進めていきました。

シュタイナーは少年期(交歯期から思春期まで)を3つに分け、7歳~9歳までを第1期、9歳~12歳までを第2期、12歳~14歳までを第3期とする。
そしてこの少年期は、幼年期の身体と心魂、心霊の3つが溶け合った段階から分離し始める。その分離し始める時期が交歯期(歯が抜け変わるとき)にあたるという。歯は胎児が親から受け継いだ過去の遺産であり、それが抜け代わるということは自分の力で歯をはやす。つまり自己の目覚めの時であり、重要なわかれ目であるという。少年期(7歳から次の思春期までの7年間)はこの世に生まれ、親から受け継いできたものと、それから自分で作り上げていくものが入り混じっている状態である。思春期以降は、何事も自分でやっていくことになる。
ちなみに交歯期までの幼年期は、子どもの中にあるのは混然一体とした生命力(欲求能力)に満ちた世界である。あるいは意志の力だとシュタイナーは言う。その意志とは、生きようとする生命意志と言える。

少年期は感情の時代、情感が発達する時代。別のシュタイナー用語で言えばファンタジーの時代。情感とファンタジーが子どもをおおっている段階であり、この時期の子どもに大切なのは、芸術をしっかりと学ばせること。知育は、思春期以降の課題になる。なぜなら自立とは、自分と世界とを切り離して、自分は世界に対してひとり立ちできるということ。自己と世界が切り離されることで、世界が客観化される。したがって思春期にはじめて客観性という捉え方が出てくる。小学校の段階から客観的な教科教育をやるというのは根本的に間違っているということになる。本格的な知育としての教科教育は14歳からということになる。
以上、太田先生の説明をもとにしながらまとめてきたが、少年期の各時期については省略する。

既にこれまで4回テキストと資料を読み進めてきているが、その中で見えてくるのは、彼の人間把握とそれにもとづく教育原理とその展開は、つねに3分法の形式によりながらなされているということだ。例えばシュタイナーは人間存在を身体、心魂、心霊という3つのレベルを異にする部分存在の複合体としてとらえているし、その身体は頭部、胸部、四肢とし、また人間精神は表象作用、感情、意志といった具合だ。そして、これら3分法のそれぞれの要素が関係づけられながら、彼の教育思想は展開していく。そのような観点から、改めて彼の思想を整理しながら見ていくと、彼の思考方法の特徴や癖、あるいは彼の根本にあるものがより見えてくるように思った(ある思想を単純化し図式化して把握することは、ややもするとその思想の持つ可能性を捨象し、表象的で淡白なものにしかねない恐れもあるけれども)。