ゼミナールsirube 7月例会

日時 2018年7月9日(月)
13:30~16:30
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 太田直道 著『人間教育の哲学史』
内容

フレーベルの教育思想を引き続き扱いますが、フレーベルは今回が最後となる予定です。太田先生に用意していただいた資料をもとに、フレーベルの教育思想にこれまで以上に奥深く分け入ります。ぜひご参加下さい。

前回の
様子

6月の会は、テキストでいうと小見出し「学校とは何か」から読み進めました。
フレーベルは、学校は精神的陶冶の場でなければならない。自己の内面にある「生きている精神」の息吹を感じ目覚める場でなければならないという。要は、子どもたちが生き生きと生きる場でなければならないのだ。ここにも生命原理にもとづくフレーベルの教育学のあり様を感じることができる。
では具体的にどのような教育活動をフレーベルは考えていたのだろうか。彼は、子どもには心情と外界と言語が息づいており、それに対応した教育として宗教教育、数学教育、言語教育などを構想した。読書会では、このうちの言語教育を中心に話し合いがなされたが、フレーベルは自己の内なる世界と外なる世界とを結びつけるものとして言葉を重視し、その学習を位置付けている。テキストでは、フレーベルの言葉を幾つか挙げている。例えば「内的な生命が内に余って、なんらかの関係においてあふれ出ようとする抵抗しがたい衝動と、この生命の充実を確保しておこうとする努力とが、書くということの根拠である。したがって、書くということは、人間の内省的沈潜的な自己省察の成果である。」、あるいは「読むことは以前に書きしるされたものを、ふたたび自己または他人に聞きとられるようにしてやりたいという、それを記憶のなかに呼び起こしより明確に意識したいという、つまり以前に書きしるされたものをいわばふたたび覚醒させたいという要求から生じてくるもの」と述べるとき、言語に対する深い洞察とその鋭さをそこに見ることができる。今日の学校教育は、書くこと読むことの教育として、このようなことをどれだけ意識しているだろうか。皆無だろうか。振り返るなら、生活綴方をはじめ戦後の教育実践の中には、それらの精神が生き、みてとることのできるものがあったように思われる。
また自己の内的なものの表現という点では言語とも共通するが、人間賛歌にふさわしい教育として芸術・表現教育を取り上げている。参加者からは、以前子どもたちの合唱に音楽的な上手さを超えた、子どもたちの内的生命の表出ともいうべきものを感じたことがあるなど、いくつか経験や事例が生き生きと語られ、フレーベルの言説の内容をより豊かなものにしてくれた。