『教育』を読む会 1月例会

日時 2018年1月27日(土)
10:00~12:00
会場 みやぎ教育文化研究センター
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参加費 無料
テキスト 『教育』2018年1月号
内容

特集1 「教育実践」への誘い
特集2 指導とケアの狭間

学校スタンダード、学力テスト、PDCAサイクル。これらは数値による評価を通じて、教育の「成果」を測る「エビデンス」だとされています。特集1では、それらの「エビデンス」が実際にどのような教育的機能を果たしているのかを問うとともに、改めて教育実践とは何かという営為について考えていきます。
特集2では、教育分野でも注目され始めているケアと指導の関係性やあり方を考えます。

前回の
様子

12月23日(土)、2017年最後の宮城『教育』を読む会を開催しました。
今回は、12月号の特集1「『ブラック企業』社会に教育は…」から、乾彰夫論文「怒りを表現すること―もう一つのキャリア教育」と、竹信三恵子論文「ブラック企業の土壌としての『全身就活』-キャリア教育と労働権教育を車の両輪に」を輪読し、議論しました。

「ブラック企業」、「ブラックバイト」、最近では「ブラック部活」と、子ども・若者を取り巻く社会の「ブラック」化は自明のものとなりつつあります。グローバルに展開する新自由主義的な企業経営・労働市場が、労働者を使い捨て、「ディーセント・ワーク」(45頁、太田隆康論文)を、健康で文化的な最低限度の生活を奪いつつあります。
そして、学校での「キャリア教育」が、こうした経済・社会の在り方への批判を封じ、子ども・若者がアルバイト、仕事、経済的な諸事情、より広く生活に関わる問題や困難を自己責任に帰する「認識論的誤謬」(6頁)へと誘導しています。

乾論文は、これに対して、労働環境・条件が正常・異常かを判断できること、「うまくいかないのは自分のせいじゃない」という認識の獲得を、不当と感じられる扱いを受けたときの怒りの表出と結びつけることを目標とする「もう一つのキャリア教育」の構想・実現を提起しています。
さらに、竹信論文では、キャリア教育に加え、「必要なポータブルな労働権の知識」(24頁)を獲得する労働権教育が必要であるとしています。自分が人らしく働く権利があるということ、それを侵害するような労務管理に出会ったら、労働相談や労働組合など利用できるものを動員して、自らを守ることができる事実を知らせることが大切だということです。

議論のなかでは、「志教育シート」で小学生に夢とそれを実現する工夫を書かせ、担任・校長・保護者がチェックして、ひたすら「がんばれがんばれ」と煽るキャリア教育が小中連携を企図して行われ、「何を書いていいのかわからない」という子どもが阻害される事態が起こっているという話が出ました。
看護師養成に関わっている大学教員からは、看護領域では職場は異なっていても同じような仕事に就いており、専門学校卒業生同士で情報交換がしやすい(10頁)という知見に対して、たとえば子どもとの関わりもできる看護を希望して子ども病院に勤務したら急患担当になった場合など、卒業生の仕事の実態も多様であり、相互の情報交換が円滑とは言えないという話もありました。

また、竹信論文で、「労働組合は立場の弱い働き手たちが自らを守るために集団となって会社側と交渉するために開発された働き手の知恵だ」ということが、「私たちの世代の大学時代には、あまりにも当たり前の常識だった」(20頁)とあります。
「60年安保」やストライキで「闘う大人」をみてきたベテラン教師は、この点に重なる経験をし、自らもセツルメントをやり、すんなりと学生運動に参加したこと、大学で学ぶことの意味を、自分のためだけではなく社会にどう還元していくかという点からも議論し合ったと話してくれました。しかし、中学生に「いま好況か不況か」と聞くと、常に「不況」だという答えが返ってくるようです。株価や経常利益は上がっているのに、なぜ賃金上昇につながらないのか。その点に気づかせていく授業もしています。
周りの大人が「闘う」姿をもはや目にしない若い世代にとっては、「組合」や「運動」ということばを聞くと、むしろ社会を乱す存在であるように感じられる。そういう時代感覚を生きている世代に、労働の権利や企業との「交渉」の権利があることをどうやって伝え、力を合わせてよりよい生き方を実現していけるのか。その点が、いまの教育と運動の課題であるということも議論になりました。

教職大学院の院生からは、大学の学部・院が「専門学校化」しているという指摘も出され、大学が若者をいまの社会へ「適応」させることに偏り、「批判」「抵抗」の芽を育てていない、むしろ摘んでいるかも…という教員養成教育の現状への危機感も語られました。

(文責:本田伊克)