2012年2月

2012年02月26日

被災地石巻の高校生に語ってもらった話の録音テープをKさんが急いで起こしてくれた。3月発行「センターつうしん」用なのでその整理を早く進めたいのだが、大苦戦をしている。

限られた通信なので予定のページに収めるように縮めなければならない。それがうまく進まないのだ。

やっと見つけてもらった高台にある平和会館に休日の半日を私たちのために高校生5人が集まってくれた。話が「つうしん」の冒頭に置くにふさわしくうまく展開するかどうか祈るような気持ちで始めたのだが、心配はまったく無用、彼らはこっちの問いに素のままでしゃべってくれ、それらのことばを軽々に削ったり縮めたりができない。女子高生が「オレ」と言っていても、それを「ワタシ」と直すべきかどうかまで考え込んでしまう。「ワタシ」と直すことで全体が壊れてしまうのではないか、ここは、「オレ」がもっともいいのではないかと・・・。

そのうえ、どうしたわけか、文章整理の作業中、あの日のさまざまな5人の所作が現われる。たとえば、話し合いが終わり、「これから、おじいちゃんの家に泊まりに行くのです。このカバンに泊まりのためのものが入っています」と言って、大きいカバンを肩に、自転車で勢いよく坂を下っていったT君の姿が浮かんでくる。このT君の後ろ姿が浮かぶと、とたんに作業が鈍ってしまう。

「センターつうしん」の作業で、こんなに困った記憶がない。

それだけ、この日の高校生のことばの一つひとつが私には予想以上に重く刺激的だったということになるということだろう。

2012年02月19日

天気がいいので久しぶりに古書店・万葉堂に行った。

私は未だに大学の教養課程の留年をつづけているようなもので、本屋に行ってもコーナーは定まっていない。ぐるぐると書棚を渡り歩く。最後まで専門課程に進めずに終わるのだろうと思っている。

帰ると、リュックに詰め込んできた本を広げて、机のそばに置くものと枕元におくものとにふりわける。

今日、枕元組みに入ったものの1冊が「特選随筆歳時記―いつも一行の手紙」(扇谷正造編)。編者は宮城・涌谷出身で「週間朝日」の名編集長として私の記憶のなかにある。

さっそく読む。題名になった「いつも一行の手紙」は作家・玉川一郎の随筆。それはこうだ。

白水社に勤めていたとき、フランスへの注文書の末尾に、「東京は雨が降っている」と何気なく打ってしまった。返事の送り状の末尾に、行をはなして「パリでも同じ」と打ってあった。しばらく「パリでも同じ」の意味がわからなかったが、自分が何気なく打った注文書の文に対するものと気づきうれしくなり、その日の帰りにレストランに寄り、パリをしのび25銭のジョッキを2杯飲んだ。

それから「一行詩」の往復があったが業務縮小で白水社はくびになった。その後を引き継いだ人に届いたパリからの送り状に、「元気を出せ」と書いてあったと聞き、電気にふれたように胸にひびいた、という。

人間にとって言葉とはなんだろう。「いつも一行」でもこんな力をもつ。

玉川は「電気にふれたように」と書いているが、「東京は雨が降っている」を読んだパリの受取人も同じだったのでないだろうか。一人でシャンパンを飲み東京を想ったのかもしれない。

2012年02月14日

10日、K高と共催で、東大の小森陽一さんに、K高3クラスに3時間、その後文芸部員への話90分という通常ほとんど考えられないハードな仕事をしていただいた。学校や生徒がこの日をどう受け止めたかは、今度の「センターつうしん」にTさんに報告してもらうことになっているので、私がどう受け止めたかを書くことはひかえ、そういうことをセンターとK高でつくったことに満足していることだけをお知らせしておく。

11日、石巻の平和会館で、3校の高校生に集まってもらい、1時間半ほど話をしてもらった。宮城水産高・石巻女子商業高・石巻北高から参加の5人。3月発行の「センターつうしん66号」にその報告をするが、早起きして一番の高速バスで行った私は、描いていたこの日の想像を何倍も超える話を5人からもらって帰った。そのもらったものは何か、口から飛び出したいと心は今も騒いでいるのだが、「つうしん」を読んでもらうまでもらさずにおこうと思う。

最近「舟を編む」(三浦しをん)を読んだ。「言葉の海」の世界をしばらくの間心地よく漂い続け、登場人物を肯定的に描いているためか、読み終えても清々しい気分は体から逃げなかった。

玄武書房辞書編集部が辞典「大渡海」の編集に取り組む。主人公は辞書つくりにすべてを尽くす主任編集者の馬締(まじめ)。登場人物は少ないが、辞書つくりの仕事を通して、人が人を刺激し、みな言葉の海を本気でおよぐようになる。ただひとり辞書つくりの外にいるカグヤもいい。

完成祝賀パーテーの日、編集に携わった編集者たちを、「『大渡海』の完成を喜び、だれもが笑顔だ。俺たちは舟を編んだ。太古から未来へと綿々とつながるひとの魂を乗せ、豊穣なる言葉の大海をゆく舟を。」と三浦しをんは描く。言葉に生きている人ゆえにできる描写と言えそうだ。そして、「まじめ君、明日から早速、『大渡海』の改訂作業をはじめるぞ」と年長嘱託の荒木に言わせる。

それが辞書の世界なのだと思いつつも、いいものを目指せばどこも同じなのだとも思う。K高の授業・石巻の高校生の話も「つうしん」に報告して終わりではないと、「舟を編む」はしぜんに自分の仕事にまでつながってきた。

2012年02月07日

日記の間を空けすぎたので、ここ4日間にあったことを列記する。

3日、1時半からのサークル仲間Oさんの卒業授業を見に行く。教材は「ヒロシマのうた」。子どもたちもOさんも大奮闘。見ていて気持ちがよかった。この日のために、これまで2回見に行っていて、そのたびに思いつきの感想を大急ぎでその日のうちに「6年2組のみなさんへ」としてファクスで届けていた。この日の授業を見ていて、その感想が彼らのなかに生かされているような気がして内心うれしくなった(もちろん、自分に都合よく考えているのであり、誰も知らないことだが)。授業後の話し合いが校内の方の参加がなくサークル関係者だけだったのはやや寂しくもったいないと思った。

4日、1時半からセンターで「第4回戦後教育実践書を読む会」。テキストは「未来誕生」(齋藤喜博)。案内人は皆川秀雄さん。皆川さんは、M中学校時代、S校長のもと学校づくりに取り組み、学校に入った齋藤喜博さんの教えを何度か直接教えを受けているし、宮教大時代を含めて齋藤さんをよく知っている中森さんの話も入り、話し合いは「未来誕生」を中心にしながら齋藤さんが何を大事にしたかに広がっていった。参加者は10人ぐらいだがみな充足感を持ってくれたのではないかと思う。第5回は「学級革命」(小西健二郎)で3月31日(土)。案内人は佐々原芳夫さん。

5日、南三陸町戸倉小の3・11の避難時から現在の登米市・元善王寺小間借りまでに関わったたくさんの方々のなかから8人の方に集まっていただき、午後いっぱいの時間、話を聞く。場所、ホテル観洋。それぞれの方の話に、子どもたちを思い、学校を思う気持ちがあふれていた。学校と地域は不離一体であり、容易に統廃合へすすめることの危うさを強く感じさせられた。

翌日の6日、登米市・元善王寺小に寄る。ここに戸倉小と一緒に入っている戸倉中のKさんにお話を伺うため。10時過ぎから12時近くまで。Kさんは、避難時の生徒の働きに驚かされたことを誇りを持って教えてくれた。また、バラバラに住みながら少しも変わらぬ地域の方の支援、そして、今学校のある善王寺地域の人々の応援も事例をあげて知らせてくれた。

やっと落ち着いた善王寺を4月から離れるようになるらしい。それは戸倉小中にとってどこが前進なのかはとうとうつかむことはできなかった。帰りの車の中で何度思い返しても理解には達しなかった。子どもたちや地域の人々は納得なのか・・・。私にはわからないことが、大きな重石のように残ったのだった。

2012年02月01日

今日から2月。月初めの朝、私にはここ6・7年、欠かさずつづけていることが1つある。玄関の額の絵の入れ替えである。ブリジストン美術館の特別展・ザオウーキー展で買ってきたカレンダーの絵12枚を額装して飾り続けているのだ。ありがたいことに日付は小さくうすく刷り込んでいるので絵のじゃまにならず何年経っても変わりなく使えている。

これをつづけることによって私の中に新しい月のスタートが少し意識づけられるというわけ。

朝のバスで読んだ「瓦礫の中から言葉を」(辺見庸)の中に、石原吉郎の次のような言葉が紹介されていた。

「~いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。日本がもっとも暗黒な時代であってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している。民主主義は、おそらく私たちのことばを無限に拡散して行くだろうと思います。~」

辺見によれば、72年に発せられた言葉だという。(2012年も変わらないじゃないか、なぜ?)とバスのなかで自問を繰り返してきた。

昨日、ホームページのための会をもった。参加はYさんとKさんの2人だけ。途中から別用で現われたNさんが入り少し賑やかになる。

センターのホームページは、外からはなかなか入りにくい。入り口が「みんなの声」だけであり、そこは(重い感じをもつのかなあ)というのが一致した見方。また、資料として「カマラード」のもくじを並べているが、「もくじだけで読んでみたいと思う人もいないだろうなあ」ということも出る。とにかく、こちらからのいろいろな働きかけを絶えずつづけることが今やるべきことだろうと結ばれて会は終わる。

今また、石原吉郎の言葉が浮かぶ。