2010年7月

2010年07月26日

戦後教育実践書を読む会のためのリストつくりを始めた。大げさな言い方に聞こえるが簡単な年表づくり。その作業をしていて大いに驚いたのは、手元の何冊もの戦後教育史を読んでもかつて私を揺さぶった実践書についての記述はほとんど見られないということ。つまり、私の頭にあるいくつもの実践書は教育史の中にはきちんと位置づけられてはいないのだ。熱に浮かされたように身銭を切って遠くの学校まで走り回った頃のことはまだ鮮やかに残っているのに。教育史のなかでどうしてそんなものなのか、読む会がスタートしたらゆっくり考えてみたいと思う。

ホームページを開いて4週間になるが、こちらからの一方的な押し売りであることと、会員は教育関係者だけではないのに、内容が教育実践の域を広げられないでいることが少なからず気になっている。

ホームページをのぞいて言いたいことなどおありだろうにそれを書ける欄をつくっていない。「お問い合わせ」のメールを使ってどんどんお書き頂ければありがたい。

2010年07月21日

2・3年前から事務局会議で話し合われていた「アイヌ文化に学ぶ」会が、催し案内のような内容でやっと実現できることを喜んでいる。アイヌ文化振興・研究推進機構が2人の講師派遣を快諾してくださり、宮城県教育会館と共催で可能になった。非力なわが研究センターだけではどんなにがんばってもこの種の学びの会をつくることは無理なのだ。

先日会ったMさんは、「以前、小川早苗さん(今回の講師のおひとり)のアイヌ紋様展を観に東京に行ってきたことがある。一つひとつの紋様のすばらしさに心を打たれた。今度の会には友だちを誘って参加する」と話していた。

何でも同じだろうが、その実際に触れるまでは迷いや心の距離があっても、いったんその場に自分を立たせてしまえば満足感で充たされることが多いだろう。Mさんからは仲間5人との参加申し込みがあった。

せっかくの機会なのにA・Bコースともに定員30名の学びの会にせざるを得ないことに少々心が痛む。

2010年07月17日

本年度の活動方針のなかに新しく「戦後の教育実践書を読み合う会」をつくることを入れた。これをどう具体化するかを事務局会で話し合った。現場の方たちと読んで話し合いたいゆえに、いつ、どうすればそれが成立できるか容易に名案は出てこない。月例で土曜しかないとまとまりつつあるが、月1というとき、まとまった実践書をどう読み合えるかもまた工夫がいる。できれば夏休み後の少しでも早い時期にスタートしたいのだが・・・。

雑誌「教育」の1956年8・9月号に大田堯さんの「戦後の教育実践を検討する」が掲載されている。そのなかで大田さんは小西健二郎の「学級革命」にふれ、「ここを場として、子どもの埋もれた学習意欲がほりおこされ、無感動にとじられていた魂に感動の波をよびおこさせていくのだ」と書いている。半世紀後の今も学級担任の闘いは少しも変わるはずはない。とすれば、この会を開く値打ちは十分あると秘かに思っている。もちろん、その他の実践書についても同じことが言える。

2010年07月13日

研究センターに去年強力な助っ人集団が誕生した。今日はその10回目の集まり。メンバーは6人。ほとんどは退職1年の会員。現場の若い人たちにこれまでの宮城の優れた財産を広く届けることを願う人たち。

その話し合いが基になってこのホームページは開設へとすすんだのだ。

今日の話し合いは、教育実践の部屋と資料室をどう充実させていくかが中心に。

学習指導要領に忠実につくられた教科書べったりの今の教育内容は教師にとっても子どもにとっても幸せなこととはいいにくい。これが徹底されればされるほど、教師自身が別の世界の存在に目を向けずに進み、子どももまた開かれた世界に気づかずに過ごすことになるだろう。こんなことを想像すると目の前が暗くなる。学校は囲い込みに必死になるのだが、成功していると思われる学校にはそれがつくる大きな落とし穴が「教育の仕事」にはあるのだといつも思いつづけたいものだ。そんなことを考えてもらえる実践をも多くの教師に届けたいと願う助っ人たちなのである。

2010年07月09日

「通信読みました。林さんの公開授業でのお話、すばらしかったですね。よい企画でした。高校生の感想もなかなかよかったです・・・・」

通信59号の感想を第一番に電話で話してくださったのは、教育学者の堀尾輝久さん。わが研究センター会員のおひとり。届いてすぐお読みいただき、すぐ電話をくださったのだろう。

ご感想を伺いながら、林さんの卓抜なお力によってつくりあげられた公開授業であり、その事実を報告しただけと自認しながらも、つい自分たちがほめられているような錯覚に陥り、堀尾さんのひと言ひと言に体が宙に浮いていく感じがしてくる。(この年をして・・)と自分を抑えようとするが電話の後までしばらく浮きっぱなし。そんなバカ丸出しの自分をこの欄に書いて更に人目にさらそうというのだから、どうしようもない大バカか・・。

2010年07月05日

通信59号発送作業。通信発送のたびに清岡さんが悩むのは会費納入依頼書を入れるかどうか。人さまざまと考えると、「知らされた方がいい」と簡単には紙をはさめないのだ。オレはズルイのでいつも答えにならないことを言って逃げている。

59号は「林光さんの公開授業」の報告。授業中のピアノの音はどうしても伝え得ない。その場にいていただくこと以外にないことを通信をつくりながら考えると、高校生50名参加はなんともうれしい。もちろん、150名の参観者も。

この会のテーマは「憲法って 何なんだろう」。林さんが「憲法」という言葉を使ったのは授業の最後。それでも、高校生Sさんの感想に「憲法の話って何をするんだろうと思っていましたが、憲法って、つまり、その人の考え、信念、個性なんですね。私も光さんのように、しっかりとした自分だけの憲法をもちたい」とある。

憲法だけでなく、教える・学ぶということはどうあればいいのか、少なくとも「教科書をなぞることではないですよ」と林さんは私たちに示してくれたような気がする。

2010年07月02日

ホームページ公開 昨日から。清岡さんとおそるおそる開いてみる。あった! これまで内輪で見ていた時と少しも変わりないのに年甲斐もなく少々興奮。

会員で、親の介護のために仙台を離れたSさんから歌集をいただく。環境問題に取り組んでいたSさんらしく身の周りの動植物が多く登場する。直線的な小気味よい表現。歌に引っ張られて読み進めていると、とつぜん「教師」が素材に。元教師のオレは鋭い太刀先にしばしストップ。

・愚かしき教師のごとき剪定をくりかえしおるきさらぎの庭
・内心の自由はあるゆえ職務として歌うべしとぞあわれ教師はまだあるあるのだ。

広辞苑は「剪定」を「果樹・茶・庭木などの生育や果実を均一にし、樹形を整えるため、枝の一部を切り取ること」と書く。「樹形を整える」「枝の一部を切り取る」、学校の日常をいろいろ想い描くうちに身が縮んでくる。